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自立した生活を始めてから、ひとつ明確になった事実がある。
それは、自分が「知らないまま」放置してきた領域が、想像以上に広いということだ。
具体的には、
政治・金融・社会制度といった基礎的な知識から、
手数料のかからない銀行の使い方、
通信キャリアの違い、テザリングの仕組み、
投資や新NISA、
モバイル定期(PASMO)の使い方など、
日々の生活に直結する知識に至るまで、抜け落ちているものが多かった。
一人暮らしを始めた当初、これらをほとんど知らなかった自分に直面し、まず浮かんだ感情は「怒り」だった。
「どうして、こんなに重要なことを誰も早く教えてくれなかったのか」。
子どもの教育は親や学校の責任なのだから、いまの無知な状態は彼らの怠慢の結果ではないか──そう考えた。
しかし、この考えは論理的ではないと気づいた。
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第一に、現状維持バイアスがかかっていたのは自分自身である。
「知らない」「よくわからない」と感じながらも、その不明確さを放置し、主体的に調べようとしてこなかったのは自分だ。
情報は、少なくともインターネットや書籍を通じて、誰にでも開かれているにもかかわらず、それを取りに行かなかった責任まで他者に転嫁するのは筋が通らない。
第二に、「教えてくれなかった」という発想そのものが、受け身の姿勢に立った怠慢な考え方である。
「教えられるべきだった」という前提に立てば、学びの主導権を常に他者に明け渡すことになる。このスタンスを維持する限り、
「知らないこと」が新たに見つかるたびに、原因を親や学校、社会に求め続けてしまう。
以上の二点から、「自分の無知の全てを、親や学校の責任として扱うこと」は妥当ではないと判断した。
むしろ重要なのは、「教えてもらえなかった結果としての今日」ではなく、「自分で知ろうとした結果としての今日」をどう積み重ねるかである。
「教えてもらえなかったからこうなってしまった」という今日も、
「知らなかったけれど、自分の意思で知ろうとした」という今日も、
どちらを選ぶかは、今この瞬間の自分の選択に依存している。今年一年を振り返ると、多くのことを新たに学ぶことができた。
その内容は、おそらく多くの人にとっては「すでに知っている常識」にすぎないかもしれない。
それでも、基準とすべきは他人ではなく、過去の自分である。
過去の自分と比べて理解が深まり、行動の選択肢が増えているのであれば、その差分は紛れもない前進だ。
したがって、来年以降も続けるべき行動は明確だ。
① 日々の出来事や制度の変化に対して、意識的にアンテナを張ること。
② 「わからない」「気になる」と思った事柄を、その場で調べて解消すること。
③ 現状に安住せず、「今より良い選択肢はないか」を継続的に検討すること。これらはすべて、「無知の原因を外部に求める姿勢」から、「知ろうとする主体としての自分」に軸足を移すための具体的な行動である。
この行動を積み重ねるかぎり、無知は他人の責任ではなく「自分が変え続けられる対象」として扱えるようになる。

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